【都会と田舎の格差】田舎では想像力欠如の再生産が起こっている現状
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こちらに「YoLog.com」の都市に関する記事をまとめています↓↓↓
近年、インターネットやその他インフラが発達してきたため、田舎と都会の格差が小さくなってきたように感じる。
検索すれば、知りたい情報がどこにいても平等に手に入りますし、欲しいものがあれば、AmazonなどといったECサービスの利用により地理的制約を受けず、簡単に手に入る仕組みに変わってきました。
日々の技術の進歩によって、その格差は是正されているような気もしますが、まだまだ確実な割れ目は存在します。
以前、都会と田舎について、このような記事を書きました。
この記事は、都会と田舎の生活の違いや住みやすさといった、あくまで表面的なことについて書いた記事です。
しかし、今回は別の視点から、都会と田舎の違いについて書いていこうと思います。
その前に、僕について紹介したいと思います。
住んだ都会と田舎
こちらの記事でも紹介しています↓↓↓
田舎
地方:東北
人口:約10万人
僕は東北の人口10万程度の街で生まれ育ちました。
僕が暮らしていたのは、家の周りが一面田んぼしかなくて、最寄りのコンビニまで車で10分とかいうほどの田舎ではありません。
なんなら県で2番目の都市で、コンビニも家から歩いて5分の場所にありますし、スーパーにも困りません。
車で5分行けば大正義AEONがあり、このように国道沿いにはチェーン店が立ち並ぶ。生活物資には困りません。
しかしこれがある意味、地方の典型的な田舎の姿であり、日本の街の大部分の街の姿なのです。
都会
地方:関東
人口:約130万人
現在は、大学がある埼玉県さいたま市に住んでいます。
さいたま市は、埼玉県の県庁所在地で人口が約130万人くらいです。
大宮・浦和という2大拠点があり(この2つはそこまで都会ではないが)、東京の中心部まで30分というアクセスの良さにより、この人口減少時代に関わらず、現在でも人口が増加しています。
都会と田舎の文化的・知識格差
田舎は文化的後進地域
上記の記事を書く際、他の方がどのような違いを感じているか調べ、こちらの記事を見つけました。
こちらの記事を要約すると、執筆者は、北海道釧路市という、僕の地元のような典型的な田舎で育ちました。
大学進学を期に東京へ出ており、その際に感じたのは「田舎に住むことで、文化的想像力の欠如に陥る」ということです。
つまり、都会でより文化的な生活をしているしていれば当然想像できるようなこと(上記の記事の一例では、大学進学を高校卒業後の進路として考えること)が、文化の後進地域である地方の田舎では、想像することがなかなか出来ない。
なので大学進学を一つの進路だと思い付くのが当然ではない。
ちなみに、ここでいう文化的生活とは、執筆者によると、次のようなことです。
「文化的」とは、おそらく、いまあなたが思い浮かべている次元の話ではない。たとえば私が想定しているのは、わからないことがあればひとまず「ググる」という知恵があり、余暇の過ごし方として読書や映画鑑賞などの選択肢を持ち、中卒や高卒よりも大卒という学歴を普通だと感じる、そういったレベルの話である。
この執筆者には、ほぼ賛同しますが、少し異なる視点でこのことを考えていました。
田舎だと、教養というものは重要視されない。
なぜなら、勉学について意味の見いだせなかった者が田舎に残るからです。
だから、
文化的趣味・娯楽が少ない→文化を視認出来ない→想像力の欠如
ではなく、
文化的趣味・活動を必要としない→文化的趣味・娯楽が少ない→文化を視認出来ない→次の世代も想像力が欠如する
というような文化的欠如の再生産が田舎では起こっているように僕は感じました。
そしてこの再生産は、土着し、その事に当事者は気付けない。
僕が、この再生産から抜け出せたのは、上記の執筆者のようにたまたまなのです。
偶然、その地域で一番の高校に入れた、
偶然、高校で教師から大学進学という選択肢について教えられた、
偶然、両親が関東の大学への進学について応援してくれた。
自らの意思で決めたことといえば、関東の大学に行くということである。
全ては偶然の産物なのです。
感じた想像力の欠如
そしてこれこそ、僕が東京に来てから感じた事でした。
その時に僕は、この再生産から抜け出せたのだと思います。
そして僕が一番感じたのは、学歴・キャリアに対する一種のモチベーションに関して。
田舎では、学校の勉強や、大人になり何らかのキャリアを積むことが自分の人生にプラスになると想像出来ない。
いや、「頭が良い方がいい」とは思ってるけど、それが自分の人生に直結するものだと感じている人は少ない。
一方都会では、学歴・キャリアに対する考えを小さい頃から持ちやすい。
なぜなら、都会だとそれらを追い求め、そして手にして成功した大人が身近にいるし、自分の学歴やキャリアに興味を持ちやすい環境だから。
頭が良くて優秀な人は都会に流出する。
そして残る者は、勉強することに意味を見いだせなかった者がほとんどを占める。
もちろん全員だとは言わない。
明確な意味を持って地元に帰り、そこで生活をすることはとても立派である。
なんなら僕も将来的には、何らかの形で自分の田舎に寄与したいと思っています。
ですが、少なくとも僕の周りの大半は大人達はそうでした。
そして、もちろん都会に住む全員が自分の学歴・キャリアを深く考えてるとは思わない。
都会、田舎に住むものを一括りしているとかそういう問題ではない。
肝心なのは、上記の記事にあるように、そこに住む大多数が「想像出来るか出来ないか」ということです。
田舎で起こる悪循環
このように田舎では、文化的想像力が欠如した親によって育てられた子は、その環境も相まって文化的想像力が欠如するという再生産を繰り返す。
そして前述の記事の言葉を使うなら、「努力の成果ではなく、偶然の結果」によって大学に入った者は、都会での文化に触れることで、これまでの想像力の欠如に気づく。
田舎では、なぜ想像力欠如の再生産が起きるのでしょうか。
これは、僕の考えですが、学びへの興味は知的好奇心を満たす機会によって創出されるものだと思っています。
そして、知的好奇心を満たし、学び、知識を広げることは選択肢を広げることに繋がります。
ですが前提として、田舎では、教養の重要性は無視されます。
ここでいう教養とは、一般常識とかそういうことではなく、例えば東京一工卒などの類まれなる学歴や語学能力、世間体に評価されるスキルとかを指しています。
教養が必要ない世界だからです。
教養があることを必要とする仕事もないし、何よりみんなそうだから違和感を感じない。
地元で関わってきた大人の多くは、それに該当する人たちでした。
教養を得る必要がない、重要視されないのであれば、多くの人がそれを得るための趣味・娯楽を必要としないのは自然だと思います。
必要ないのであれば、文化的施設や機会が育つわけがない。
だから、田舎では、視認できる文化があまりにも少ない。
そのため、文化に触れ、知的好奇心を満たす機会が少ないため、選択肢が広がりません。
だから同じように次の世代も文化に触れれないため、偶然抜け出した者以外は、選択肢が広がらないため、また同じように教養を必要としなくなるのです。
これが18年間、田舎で過ごして僕が感じたことです。
中学校の友達で地元に残った人も、もちろんそれなりにいます。
彼らは、パチンコなどのギャンブルをやってる人が多く、また自ら意識的に選択したわけではない好きでもない仕事をしている人が多い気がします。
外か内。
想像出来るか出来ないか。
都会だと再生産は起きづらいのか
都会が田舎と違うのは、知的好奇心をもつきっかけがあり、満たす手段の選択肢がたくさん存在し、その内容もより高次的であることです。
それにより、学びへの興味を持ち、そして教養を深める。
そして選択肢が広がり、大学進学という進路を早くから想像出来る可能性が高くなります。
そして、都会には、地方から大学進学を期に出てきて、そのままそこで仕事に就いた人がたくさんいます。
つまり、大卒者がマジョリティの世界です。
両親のどちらも東京の大学を出ているなんて珍しいことではないので、田舎では、なかなかない大卒者が最も身近にいるのです。
だから都会で大学進学をしない人は、大学進学ということへの想像力はあるけど、あくまで選択の1つとして、それを選ぶのです。
想像出来ないことは不幸か
想像出来ないことは不幸かと言われると、必ずしもそうではありません。
正直、今の生活に満足出来ていれば文化的なことなんて知らなくて良いことです。
休みとなれば、AEONで買い物して、フードコートでご飯食べたり、パチンコに行ったりと。
そしてたまに友達とカラオケ行ったり呑みに行ったり。
それでも十分楽しいです。
ですが、満足していない人は、田舎にいては他に選択肢があることに気付きません。
想像出来ないことは認知出来ないので、偶然抜け出すしかないのです。
上記の記事の通り、これこそが一番大きな問題なんだと思います。
都会と田舎の経済格差
都会と田舎について調べていると面白い記事を見つけました。
この記事の本旨とは逸れるんですが、紹介したいと思います。
それがこの記事です。
https://www.sekkachi.com/entry/country_vs_city
田舎は、意外とお金がかかります。
そこにも、格差があるのです。
ですが田舎の方が、住環境が優れているという記事もあります。
https://www.miyachiman.com/entry/sumai-inaka
地方都市という選択
これまで都会=東京を例にしてきましたが、日本の都会は東京だけではありません。
各地方には、必ず政令指定都市があり、その地方の拠点としての役割を果たしています。
そのため政令指定都市には、大学はもちろん、大型商業施設があり、そのテナントとして大型書店や規模の大きい映画館などが入ります。
なので文化的に触れることへのハードルが地方の中で一番低いのが地方政令指定都市です。
また生活的にも、とてもちょうどいいです。
ちょうどいいと言える理由はこちらの記事に書いてますのでこちらを見てみてください。↓↓↓
まとめ
地方の田舎の現状を自らが感じたことを元に書いてみましたが、もしかしたら、これは偏見に映る方もいるかもしれません。
ですが、これはあくまで僕の見てきた田舎はこうだったというだけです。
今後、自発的に文化的想像力が育まれることを祈っています。